東京高等裁判所 昭和29年(う)2936号 判決
被告人 前田耕而
〔抄 録〕
一、同論旨第四点について。
所論は「原判決が証拠に引用した被告人の司法警察員に対する供述調書三通及び検察官に対する供述調書一通には、いずれも弁護人を選任することができる旨の告知をしたことの記載がないから無効であるのにこれを証拠に採用したのは違法である。」と主張する。けれども、司法警察員や検察官が、被疑者に対し、所論のような弁護人の選任ができる旨を告知することを要するのは刑事訴訟法第二百三条または第二百四条に該当する場合に限るのであつて、被疑者を取調べる都度その旨の告知を必要とするものではないと解するのを相当とする。これを本件の場合にみるに、被告人の当公廷における供述と、被告人の司法警察員に対する昭和二十九年七月十九日附供述調書の記載とを対比検討すると、被告人は本件犯行後直ちに静岡県安倍郡井川村の巡査部長派出所に自首したことが認められるから、本件事案の捜査はいわゆる任意捜査によつて開始されたものと推認されるばかりでなく、その翌二十日には静岡地方裁判所裁判官の発した勾留状が執行されていることが記録上明らかである。してみれば前記自首の際に司法警察員が作成した供述調書は勿論、前掲勾留状執行の日に作成された司法警察員の第一回供述調書及び同日以後に作成された同第二回供述調書ならびに検察官供述調書はいずれも刑事訴訟法第二百三条または第二百四条所定の場合に作成されたものではないと推認されるから、これに所論のような弁護人選任権の告知の記載のないのはむしろ当然であつてこれを非難する所論の理由のないのは明白である。しかのみならず、一件記録に徴するに、所論の各供述調書は原審第二回公判期日に検察官から提出されたものであるところ、被告人、弁護人とも、なんら異議をとどめずして同意していることが明らかであるから、仮に前記の各供述調書に所論のような瑕疵があつたとしてもその証拠能力を欠くものではない。してみれば右いずれの理由からしても、原裁判所が前記各供述調書を証拠に採用したのは適法であつて、その訴訟手続には毫も所論のような違法の点は存しない。論旨は理由がない。
二、弁護人の論旨第二点及び被告人の論旨中事実誤認の論旨について。
原判決挙示の証拠によれば、被告人は原判示のような仕事上のことで配下の小美野勝美からいいがかりをつけられ、口論の末、同人から喧嘩を挑まれたので、これに応じて格闘を開始したものであり、相互に攻撃を加えつつある途中、原判示切出しで相手方の腹部その他を突刺し、因つて同人に原判示のような傷害を加えたものであるからその行為を目して正当防衛行為であるとはなし難く、また被害者たる小美野勝美は右傷害を受けた翌日治療のため十里以上離れている静岡市の日本赤十字社静岡病院へ運ばれたこと、同人が死亡したのは入院後約半月後である同年八月六日心臓衰弱によるものであることは記録に徴して明白であるが、当裁判所で施行した証拠調の結果によれば、本件犯行の現場は大井川上流の発電所建設工事現場であつて十分な医療施設はなく、重症の負傷者は静岡市内の大病院で治療を受けなければならない状況にあつたこと、本件被害者たる小美野勝美の傷害の程度は絶対に動かすことができないという程の容態ではなかつた反面、もし貧弱な山間の医療施設だけに頼つていたならば到底恢復を期待しえないものであつたからその治療のためには是非とも静岡市内まで輸送する必要があつたこと、本件犯行現場たる静岡県安倍郡井川村から最短距離で静岡市へ出るには、途中に嶮岨な峠があるため、乗物を利用することができず、歩行困難な病人は担送して運ばざるを得ないので、前記小美野も戸板にのせて峠を越したこと、赤十字病院に入院後の手当については少しも遺漏の点が存しなかつたことが認められるから、叙上の事実は被告人の原判示傷害の行為と小美野勝美の死亡との間の因果関係を中断する事由とはなし難く、記録を精査しても他にも因果関係を中断したと認められるような事由は一も存在しないから、小美野勝美の死亡は被告人の原判示傷害行為に基因するものであることは明白である。要するに原判決挙示の証拠によれば、原判決事実を認定するに十分であつて、所論に徴し記録を精査しても原判決には所論のような事実誤認は存しないから論旨はいずれも理由がない。
註 本件破棄は量刑不当